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うぎゃーーー!レ…コンタクトレンズ外す時にしくじって自分で自分の左目「ずぎゃ」って刺しかけました痛い…!
ちょ、何やってんの私…兎に角痛いです。違和感が取れないよー。まさかコンタクト装着歴10年軽く超える自分がこんな事するとは思っておりませなんだ。あぎゃー!
あぁぁ…じくじくする…orz
そんな話だけでは何なので落書き投下。
いくら落書きだからってバストアップ棒立ち絵ばっかりですみません。だから上達しないんだよ!
上達っていうかきちんと「おかしい」と思ったところは直せよ、という自戒の意味をこめて(日本語が崩壊している)晒し上げじゃーーーーー!!(落ち着け)
工藤虎豊殿です。内藤昌豊のパパンです。似てないのは仕様です。奴はママン似でいい。兄者(某本の話をとって昌康兄さんで参ります)がこっち似で中身はママンでいいじゃない。そもそもママン描けよ馬鹿。野郎ばかりです。華が無い!
阿呆面でございます。基本的に口数少なめでぼんやり気味。天然というかずれている。更に何を考えているかわからない部分がある。最早本能のまま生きている気がしてきました。
判っているだけで経歴が以下の通りです。
・晴信の5代前の信重の時代に武田家臣となった(というか兄・信重が弟・信長の家臣だった工藤某を引き抜きしちゃったんだぜ!)工藤氏の子孫。
・信虎(当時は信直)とその叔父・油川信恵(あの油川夫人の祖父)の争いでは小山田信有(出羽じゃないよ)らと共に信恵側につき信虎と争うが、信恵が滅ぼされた事により北条氏の下へ逃れるも後に帰参。
・親族(もういっそ姉妹でもいいんじゃないか)が信虎の側室になってたりと妙な感じであります。
・1536年花倉の乱の後、信虎に意見してばっさり。~そして昌豊ら流浪の身へ~
こんなもんでしょうか。因みに意見した内容は、「反・義元派が落ち延びて武田を頼ってやってきたのに、その人たちに切腹を命じた事に怒った」だの「信虎様が駿河侵攻企んでるけど反対だよ」とかそんな感じだった気がします。すみません、メモみて打てって話ですよね。というわけなので当てにならなくて申し訳ないです。
そんなくだりから内藤(昌豊ですよ)の武田帰参辺りのお話捏造に着手したいなぁ…と妄想をふくらませているのですが、やっぱり形にならないなぁ…誰かこの頭の中にあるの書いてー!とバタバタしたいです。あぁ…表現力が欲しい…あと画力と時間と…(黙れ)
あぎゃー!!
本当に郵便局へいけないことがこんなにも苦痛なものとは思いませんでした…サラリーマンとか公務員さんとかってどうやって郵便局利用してるんだろう…昼休みか!って見ず知らずの土地に行って短い時間で郵便局が探せるかーーー!!5時までとかもう泣きたいです。早く任務遂行したい…!遂行しないと申し訳なさすぎて…あぁぁ…orz
と、兎に角早く眠って頭すっきりさせます!明日起きたら眼の痛み取れてるといいなぁー。本当阿呆か私よ。
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