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肩がかっちかち通り越してがっちがちです。何これ。
あぁぁ脱稿した途端(わかってはいたのですが)オフが鬼のようでして…明日5時起き次4時半起きというね!5時は兎も角としても4時半は久々すぎてかなり恐怖です。実家にいたころは更に30分早起きしなきゃだったので、それに比べれば遥かに楽ではあるんですが。始業が朝の6時台って…何なの…
うーん…それにしてもここ数週間肩こりが酷いです。
日曜日に後頭部に激痛が走って、月曜日に周囲に脅されて病院に行ってきたんですが…結局は肩こりの悪化によるもののようで…いたいよー。薬効かないとかもう…整体やら針灸を勧められています。でも怖いから行かない。(…)
そういえば原稿期間中に色々あった筈なんですが、全然思い出せません。リアタイで呟いてたのであとで見直します。この記憶力の悪さは本当にやばかろう。
で、その最中に悶々と考え込んでいたら小原丹後の顔のイメージだけ固まった。何で顔だけか。
地味めでキツめで見事に一重。作り笑顔はお手の物。だがしかしあまり人好きするタイプではないしあんまり親しい人が多いわけでもない。勝頼様付き大将の1人。安倍さんと同僚ってことか。
小原丹後の名前の一つに「継忠」てのがあるのですが、その「継」の字は高遠頼継からの偏諱なんじゃねーのっていう説もあるのに、三河の史料では「武田滅亡後の首実験で勝頼様と間違えられかけた」とか描かれてるのでさっぱり年代がわからない。
当時の主君である頼継さんから偏諱ってことはそんなちびっ子だったわけではないでしょうし…高遠落城が確か1545年でしたよね…因みに勝頼様の生年が1546年。間違えられたいうてももういい年だとそんな見分けつかねーよってことなんだろうか。もう意味わからん。
でも高遠の出っていうと、保科さんとも顔見知りというわけで大変おいしゅうございますね。(…)
小原さんもそうなんですが、どうにもこうにも近頃自らの知識のなさに愕然とする機会が多すぎるので、いい加減積み本の数々と読み直しながら付箋つける本とまぁ色々読みたいです。一日1時間でもいいから読書の時間を設けたい。だがしかし持ち歩けるようなコンパクトなタイプが少ないので、必然的に家で読むしかないんだよなぁ…。やっぱり一日が24時間じゃなくて30時間くらいになってもらわないと非常に困る。マジで困る。
武田も勿論なんですが、房総関係もどんどん詰めていきたいのですよ。本当薄い知識のまま突っ走ってるから後で絶対後悔する。
とかなんとか呟きながら今日はこれにて失礼します…!拍手にて暖かいお言葉いただいてるのに御返事お待ちいただいてしまって申し訳ありません…orz