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湿布が足りません。腰痛症なんて嫌いだーーーーー!!
じったんばったんしたくても出来ないこのモヤモヤ感どうしてくれる!
とか何とかいいながら今日もコルセットとオトモダチな土屋です。何この若年寄。こんなでいいのか20代!

e70c0382.jpg

内藤。何描くかで困ったら内藤。なんということだ内藤。内藤大好きだよ内藤。
思わずこないだの武田神社で買った本の巻末についてる屋敷地図を見ながらニヤニヤしてしまった。あの位置関係たまらん。てゆか立て看板とかになってるのと同じ地図なので長坂の屋敷が掲載されていません。あの絶妙な距離がいいのに!微妙にご近所さん!馬場さんも近いはずだけど長坂の方がきっと内藤とご近所さん!あっでも一番近いのは板垣邸ですがねフッフー!偶に信憲が何かをガッシャーとやる音をBGMに茶でも啜ってるんだぜきっと!どんな状況だ。
それにしても高坂のあの館から呼び出し易過ぎる場所に萌えが止まらない。何だってこう…!御館様ったら…!!
つーかとりあえず風林火山博の時床に展示されてた沢山屋敷跡を示してる古地図が欲しいです。ウェブ上のだと目がシパシパして名前がよく見えません。悔しい。あの幸隆と相木殿が滅茶苦茶ご近所なアレです。

そいやこないだの甲斐旅行から、またちょっと気になるお方が増えてしまって困ります。嬉しい悩みだ。だがしかし頭が回りません。
小原兄弟なんですが。下総と丹後なんですが。恵林寺のあの絵で三献の儀の手伝いしてるくさい小原丹後とその兄弟の下総なんですが。
何この人たち謎が多すぎる。結構若い組なのかなぁ…と思ってたら、ある本では「元高遠家臣」だし…何処見ればそこにたどり着くのだ。高遠て。高遠!!?高遠だったら高遠記集成読んでみる。
…ちょっと流し見してきた。あぁ古文の勉強したい。ところどころ意味がプーンですが「千邨内匠守城附保科正俊逆心」の章が萌える。伏兵ながら義康に萌えた。じゃなくて肝心要の小原さん。所々に高遠サイドとして「小原」の名があったよーーー!!そうかい!でも小原某だい!くっそう!
でも、高遠が落ちる前に高遠に仕えていたとしたら、天目山の時には物凄くご高齢だと思うのですが。
安国寺を軸として若く見積もっても1520年代半ばより前には生まれてそうですよね…あぁでも親かなぁ…満長さんでしたっけ。
それにしても解らない…手持ちの書物だと小原下総が弟ってなってるんですが(今見た3冊くらい)、ググってみると逆なんだよなぁ…下総=忠国・丹後=忠次ってのはいいんだよな…何これもうわけわからん。広勝は丹後だよねぇ…誰かー!小原マスターはおらぬかーーー!!もう頭がキャパ超えてるよぉぉぉぉぉぉ!!だってこれ日記打ち始めたのロンハー始まった頃ですよ…2時間近いじゃないか…

というか調べながらの葛藤をそのままブログに打ち続けててすみません。閲覧してくださる方々にとっても優しくないサイトでごめんなさい。
…頭がぽーっとなってきたので寝る。寝たら脳内整理できるっていうじゃない!それに賭ける!
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